レゲエという音楽が日本で認知されてからというよりBobMarleyがといったほうが良いかもしれないがどうしてもあの奇抜なヘアースタイルとラスタがどうしても前面に出てレゲエがそれらの影にあった様に感じられる。そこからファッションとしても取り入れられてその中でもあのドレッドヘアーを隠す為のニット帽タムがレゲエ者のアイテムになっていたと思う。しかも定番でラスタカラーが入ってるものだ。アクセサリーしかりどれにもラスタカラー、一時期はアサヒビールでラスタビールというものまで登場していた。なぜかグリコのコーヒーゼリーのコマーシャルに2人のラスタマンが登場。何の関係があるのか、おそらくブルーマウンテンのイメージが出したかったのだろうが浅はかな考えでしたわ。まあそんなレゲエアクセサリーなどを手に入れるとなると当時は旅行会社のアイランドか海賊船、もしくはアイランドなどが商品を卸しているBarや喫茶店くらいでしか購入できなかった。なかでも海賊船というお店はラスタというよりはインドをはじめとしてアジアのものが多かったがそこで働いていたミカちゃんという娘がいてその後独立してタメルというお店をアメリカ村でオープンした。ミカちゃんは私が言う依存症でもなくレゲエ大好き女子であったけどDanceHallではまず会うことはなかったなあ。80年代の初期あたりのレゲエ者は90年にさしかかる頃にはほとんど顔を合わすことがなかった。それは宗旨の違いというかRootsPopからDanceHallに流れが変わったというべきかこれは仕方がないことで文化とはそういうものだと思います。そういう私も90年代後半にジャメイカにおいてDanceHallの行末を嘆いていたひとりである。80年代DanceHallの主流であったRub a DubStyleがほとんどMCにかわりアーティストはステージにあがってショウとして営業することが多くなったからである。文化は変化やな。あるイベントで懐かしい顔が揃った折、ミカちゃんから「癌やねん」と聞かされて全く見た目で病気と感じられなかったので「痩せれてエエやん」と 当時 肥え過ぎであった私は彼女に軽口をいったが健康そうに見えたし彼女も自然療養で治すといってたのでそんなに気にしてなかったのだがそれから2年後に亡くなられたそうだ。久しぶりに会ったあのイベントの帰り駅まで自転車で送ってくれたときには全く病気と思えないくらい元気やったのにと・・・。ただ日頃からナチュラリストだった彼女が癌に侵されたことで私の概念の自然=健康というのは崩れました。