第三十八話 Club Labrish

同名でJamaicaにあるゲストハウスとは関係ないのですが先述していますとおりRiddimPosse閉店後に開店したキタ代表のClubでした。オーナーは酒屋さんで雇われ店長としてClub Dynamiteで働いていた2GとBun Bunらがプロデュースしてオープンしたお店です。まあClubとは名ばかりでキャパ的にはBarに等しいのですがとにかく立地条件が良かった。

D・DHouseの正面の阪急梅田駅高架下でアクセスも無茶苦茶良かった。それまでのレゲエクラブの中で一番良かったと思います。いわゆる一等地いうやつですわ。

Dynamaiteの週末の集客には敵わないものの一般のお客さんもレゲエを体験できるところでした。私はオープン当初は日本にいてることが少なかったので93年頃から夏だけ日本に帰ってきてよく遊びに行きました。日替わりで大阪、神戸、京都のアーティストのイベントやセレクターが皿を回しにきていて特にDynamaite閉店後は大阪レゲエ者の宿り木または溜まり場のようになってました。

また、ここに集うアーティスト達がジャマイカに来る際は必ず私のところへ尋ねてきてくれたので色んな意味で助かりました。ここで働いていたSTAFFや常連(アーティスト含む)さんの中には現在も現役で頑張ってるレゲエ者がいて感心するばかりです。

私が現役時代の頃のYouth世代が多くでしたがそのまた下の世代もここを拠点にして活動していたと記憶してます。ちょうど90年代のレゲエブームに乗っていたこともあり、りんくうのJugglinCity、福島のDynamite、キタのLabrishみたいな感じで大阪のレゲエ3本柱みたいになっていたのではないでしょうか。

他の大型店と比べるとやはり高架下ということで天井が低くキャパも小さいということで音はそんなに自慢できるほどものではなかったのですが演者(アーティスト)の幅がとても広く客層も訳の分からない者があまり出入りできないようにしていたので安心して楽しめる箱でした。

だから現在頑張ってる大阪レゲエのアーティストはほとんどここのマイクを握った経験がある人が多いのではないでしょうか。

私は90年代初頭にジャメイカのDanceHallで注目されてきたダンサー(女性)に目をつけLabrishで働いてる女の子を中心にダンスユニットを結成することを進言し、その名を”TopBodys”と命名しました。現在のダンサーのようなアクロバティックな面はなかったのですがとりあえず見たくれと今まで日本のシーンになかったものをいち早く取り入れれたらと考えましたがいかんせんその女の子達が2Gをはじめみんなヒモ付きだったのでSkinOut、CockUpBattyなどを彼氏達が嫌がり最終的には尻切れトンボで解散してしまいました。トホホですわ。

まあ現在のダンサーの本気度から比べたら雲泥の差はありますけどその後のダンサーブームの走りにはなったと思いますよ。とにかく小っちゃな箱の割にはエネルギッシュに富んでいてなんやかんやで21世紀突入まで営業されてました。Labrish閉店後はなぜか餃子屋さんとして営業されてまして面影は全く無くなってしまいましたが大阪レゲエ者の脳裏にはいつまでも梅田のLabrishとして残っているんでしょう。ここにもたくさんの濃い人間が出入りしていたので後々紹介していきますのでお楽しみに!!

投稿者: 大阪レゲエ百物語

DADDY-TERUKIの大阪レゲエ百物語

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