第一話から読んでる人には第十九話で 「えっ!?」 と疑問に思われた方もいるんじゃあないでしょうか。それはあの画伯の事務所の名前です。そうなんです事務所の名前が変わっていたんですね。なんで名前を変えたのかは不明なんですが新ネームはうつろにオランウータンからきてるかなんかやったと記憶してますがこれも定かではないです。まあこの事務所には「LJP事件」をはじめいろいろと思い出がありましてたまたま大村君の友人であった画伯と知り合いになりそれからミナミへ行った際は必ずといっていいほど立ち寄ってました。特に以前にも記述してましたがジャメイカから帰ってきた頃の私にはオアシスのような存在でした。この事務所の店子はほとんどが画伯の友人でしかもデザイナーさんばっかりでみんなで飲みに行ったりして仲良くしてもらいました。ただ、他の人たちは会社組織として運営されてたのですが画伯はポリシーが強く独自で儲からないことをやってるように見えました。また、管理人のおばちゃんの容姿がまた濃い!牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけいつも前掛けして地下で住んでましたわ。暗いとこでしたけどよう生きてるなあとまで思ったほどです。そんなことでいわゆる「マタ連れ」的に知り合った画伯とは親密になっていき私の専属セレクターにもなってもらい各イベントに一緒に出るようになっていきました。そんな時に画伯は吉本興業の仕事を受け当時高校生に人気のあった「二丁目劇場」の小道具やトミーズなど芸人さんのイベントポスター制作等々それまでヒマにしていた画伯が多忙になり吉本を中心として人脈も広がっていき「その世界」の話なんかを聞かされてるうちに「ウダツの上がらん」かった画伯もようやく日の目をみるんやなと私はつくづく感じたものでした。そんなある日、吉本は芸人グッズを販売するというのでその打ち合わせに業者が事務所に訪ねてくるというのです、その頃の私はほとんど毎日事務所でくすぶっていたのでその場にいたんですがコンコンとノックをしていやにテンションの高い業者さんが入ってきました。そうして画伯と名刺交換そして傍らにいた私も紹介にあずかり画伯に作ってもらった名刺を業者さんと交換。「なんや凄いことになっとるなあ」と思いながらふたりの打ち合わせを見聞きしてました。そんな時です、その業者さんが画伯に発した言葉 「先生!!」 *** GUN SHOT!! 傍らにいた私は本当に死にそうでした。その後もずっと業者さんは画伯に先生と呼び続け私は急性腸ねん転になる寸前で業者さんは「お邪魔しました!」と帰っていきました。そうなんです、画伯はこの時すでに「先生」になっていたのです。吉本といっても一部上場企業です、そこへ出入りしてるデザイナーですから「当たり前」かもわかりません。そうしてこの頃私は画伯に吉本がらみでCLUBかイベントやろうと懇願するようになり、画伯もそれにうごいてくれてとってきたのがあの「ROUGH meets LOUGH」なんです。私だけが感じてるのかもしれませんがこのイベントは本当に凄かったと思います、とにかくあの歴史ある「なんば花月」のファイナルイベント(吉本興業主催ではないがこの後解体)で我々の意見100%が叶ったイベントでした。「DeeJay VS 芸人」 しかも歴史ある劇場を舞台から客席をワンフロアにしたんです。お客さんにも踊ったりしてもらうために。とにかくSHOWではなくCLUBっぽくしたんです。まあこの話も別記したいと考えてますのでまたその機会に読んでみて下さい。ともあれこの事務所での思い出はいろいろありました。あ、そうそう事務所の新ネームの意味はいつ尋ねてもだれもおらん! からかも 知らんけど

