第二十五話 レゲエバーからクラブへ

第一話で記述したRiddimPosseも営業数年でオーナーのアメリカ移住で閉店になってしまい大阪でリアルジャメイカを体験できる場所がなくなってしまうのと同時期に世の中のトレンドが変化しだしてきた。というのはそれまでのDISCOの廃退で若者の集まるところがなくそれを受けたかたちでCLUBというのが台頭し始めた。まあその流れはほとんど欧米からの流行りを日本でやったということなんですがDISCOと異なるのは日替わりでPlayする音楽が変わるのと奇抜な内装が特徴だったと思います。わたしがNYで観たCLUBは教会や銀行の金庫室跡などで当時 NYで「ヤッピー」という若い金持ち(金融関係やアーティスト・弁護士等)がこぞって会員制でパーティーをやっていた記憶がある。大阪でも「キノッピー」や「トクッピー」 というのがおったが全く関係はない。まあそんなCLUBが大阪福島にできたのである 「CLUB DYNAMITE」ここはキャパも広く忠実に欧米のスタイルを受けたような箱であった。そして当時のトレンドでワールドミュージックというかたちで世界の音楽を日替わりでセレクターをいれてPlayしていた。オープン当初、私は日本にいなかったので状況は知りませんが帰ってきてビックリしたのは覚えてます。そしてメインでPlayされてたのがレゲエDanceHallミュージックというのが本当にびっくりです。はたまたジャメイカからのアーティストをいれてのイベントという風にエライ盛り上がり様に目がテンになってしまいました。「ここ数年でこんなに変わるのか!?」 もう言葉もなかったです。反対に件のRiddimPosse閉店後そのスタイルを継いだのは梅田の「Labrish」や四ツ橋の「St.Ann」ではないでしょうか。東区のどこにあるかわからないようなところじゃなくフロントの阪急梅田駅高架下、四ツ橋筋沿いの地下というようにレゲエがポピュラーになってきたのが見えました。今思えばやはり日本はバブルやったんでしょう。Dynamiteの内装はおそらく工場をコンセプトにしたような感じで「鉄」のイメージを私には感じられた。とにかく週末は客がいっぱいで入りきれない人もでて凄かったのは今でも覚えているし、もうその時にはレゲエDanceHallミュージックが若者のトレンドになっていたんじゃないでしょうか。勿論それに付随するHipHopミュージックというのもあるんでしょうがファッションでも顕著にそれが表れてました。こうして箱が増えていくと同時にいろんな演者も増えていたのも事実で私の全く知らない人がDeeJayでポスターなんかにクレジットされてるのを見てると本当に私は「浦島太郎」になった気分でした。ジャメイカウエストモアランドから煙タップリの玉手箱をもって帰ってくるべきでした・・・・。

投稿者: 大阪レゲエ百物語

DADDY-TERUKIの大阪レゲエ百物語

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