80年代初頭というのはレゲエというジャンルは本当に一般には浸透しておらず多少洋楽に興味ある人にようやく認知してもらえるくらいのもので、一般的にイメージされてたのは「夏の音楽」、「ンチャ、ンチャ、ンチャの音楽」、ラスタにいたっては「浮浪者」てな具合です。当時の数年前にはあのBob Marleyが来日してるにも関わらず認知度はゼロにちかいものでした。ただ、世界的なアーティストがレゲエをとりいれた曲をつくったりレコーディングアーティストにジャメイカンアーティストを起用したりしてレゲエをBigUpしてたので若い世代にはそろそろトレンドミュージックとしてとらえる人が増えてたのも事実だと思います。80年代前半はご存じのとおりDISCOがやはり若い世代の集う場で全盛期を誇ってましたが中頃から衰退期を迎えDISCOはだんだんと消えてゆきました。それにかわって脚光を浴びたのがWorldMusicやったとおもいます。今までマイナーで認知度のなかったアフリカやアジアはたまた中東なんかの音楽にトレンドが移っていったのでした。レゲエは勿論、その中の中心にあったように感じます。ちょうどそのころに私は地元の喫茶店なんかを貸切にしてレゲエパーティーを開催してました。なぜなら都心部であるミナミやキタではコストも高いし週末なんて借りれない状態だったからです。ただ地元は義理ごとで全く興味なかっても前売りチケットを買ってもらえる人たちもたくさんいてコける心配がなかったのが一番の理由でした。でも、お客さんの大半がDanceHallStyleなんか全く知らないわけで「何してんねん!?なんで曲止めんねん!」とクレーム出してきます。とにかく苦労しながらもいつも最終にはBuffloSoldierとOneLoveの合唱で締めくくるというパターンでお客さんには喜んで帰ってもらってました。やっぱりなんやかんやいうてもBobMarleyでしたわ。郊外の人達にすれば近場で楽しめるというのが一番の理由でDanceHallStyleなんか2の次やったとヒシヒシと感じてました。そんななかでも若い世代には感銘を打ったコたちもいて大阪や京都のイベントにわざわざ来てくれてた人たちもいて本当にうれしかったです。この時期におそらく全国的だと思いますがレゲエバーなんかがたくさんできたと思います。日頃行くところのないレゲエ者はそこへ集うことになり、またそこでもパーティーが開催されていきました。京都のRubDubは全国発の本格レゲエバーではないでしょうか。大阪では前述してますRidymPosseだろうと記憶してます。そうしてBarにあきたらず「レゲエ焼き鳥」、「レゲエ寿司」、はたまた「レゲエ散髪」なんかもできてきてレゲエがどんどんと認知度が上がりそのなかでDanceHallStyleに目をむける若い人たちが増えていったのも80年後半からだったと思います。そういえば「レゲエ宅配」と名前はつけてませんが私もバイトでガンガンレゲエを流しながらお中元を宅配してました。迷惑やでホンマ!

