第十六話 初体験 *前編

私がピレーネで再会した幼馴染の大村君(寛平ちゃん)と家が近所なのでいつも仕事が終わったらジャメイカの話をしに訪問していた。お互い一人住まいしてたので気安く行けた。そもそも大村君たちはジャメイカへいくつもりもなくLA(ロスアンゼルス)からフロリダ・マイアミへアメリカ旅行をしていてたまたまジャメイカ系アメリカ人から「ジャメイカに行った事がないなら是非行ってみろ」と勧められて行ったらしい。まあそれまでは彼らもレゲエ者でもなく、依存症にも悩まされることもなかったらしいが行ったが最後特に大村君は感染してしまったらしい。私もその頃には本当に「行きたい行きたい病」で悩まされて仕事も辞め渡ジャメイカの道を進めていた。ふたりが意気投合して「ほんならイコカ」となったのはいうまでもない。そこからは早かった。まだ当時はジャメイカにへ行くにはイギリス領事館でVISAを取得しなければならないし勿論、直行では行けないのでアメリカ経由となるのでアメリカVISAも取得しなければならなかった。ツアーでいくなら代理店が代行してくれるのだがなんせ個人旅行なので全部自分たちでやらないといけない。銀行預金にありったけの金を入金して証明書を発行してもらい往復のエアーチケットを購入し領事館・大使館へむかったのであった。そのころの日本は世界有数の経済大国の一員になったばかりで日本人のパスポートとお金さえあればVIZA取得はそんなにはむずかしくなかった。とにかく語学力に乏しい2人であったのでインタビューと聞いてビビッてたのは事実やったがそこは日の丸が助けてくれましたわ。渡ジャメイカの日程はやっぱりXmasシーズンにかかる年末年始やろということで12月初めにNYへ行ってXmas前にジャメイカに入ろうと。その時点ではもうまだ見ぬジャメイカにFly Awayや!ただ、先述したように我々は語学力に乏しかったのでアメリカ入りが相当不安でした。大村君も「ジャメイカは何とかなるけどアメリカのイミグレーションはうっとおしいで、特にNYは知らんけど厳しいと思うわ」の言葉にまたまたビビッてました。とりあえずアメリカのガイドブックにイミグレーション通過のシュミレーションが載っていてそれをとにかく暗記しましたわ。応える順番はこう 「ジャパン」、「サイトシーイング」、「トゥーウイークス」、「ワシントンスクエアーパークホテル」 どのガイドブックの順番もそいう風に質問されると書かれてたのでとにかく覚えました。いよいよ旅立ちの日が来て狩集画伯やかっちゃん達に見送られながら搭乗口へ当時最安値の飛行機といえば大韓航空で2,3年前にソ連に撃墜されててホンマ大丈夫かいなと心のなかでつぶやいてました。そうしてまずはソウルへ、ソウルに着くとえぐいほどの韓国人のおばちゃん連中がのってきてうるさいのなんのて寝てられへん。しゃあないから最後部へ行ってタバコを吸いながら窓からソ連機がこないか見張ってましたわ。そうこうしてたらアンカレッジ到着。無事ソ連機に撃墜されることなくアメリカに。アンカレッジでは給油か整備かで1時間ほどおろされて土産物を見にいってました。まだ出発したばかりで土産を買うこともなく、うどん屋があったのでうどんをすすってから免税店に戻ると一人の日本人の女の子が買い物していて向こうから「こんにちわ」と声をかけられたので「もう土産物買ってるん?」と尋ねたら毛皮のコートや大きなものを買ってました。「安いよ〜」いやいや帰りに買えよと思いつつ飛行機へ戻りました。さあ、いざNYへ!たくさんのアジェマとジャメイカ依存症の2人をのせて大韓航空機はJFKをめざしたのであった。

投稿者: 大阪レゲエ百物語

DADDY-TERUKIの大阪レゲエ百物語

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