第三十一話 人生いろいろレゲエ者もいろいろ その1

私がまだ学生だった頃から80年後半に至るまでのレゲエイベントでレギュラーで顔を合わせる人達がいました。現在はもうその当時とレゲエも変わってしまいその人達と会うことがなくなってしまいましたがその時代にはいつも参加されていて私もずっと気にかかっていて幾度か挨拶程度で話をしたことがありましたが記憶にそんなに残ってないのが残念です。まあこの話を読んで頂けて声をかけてもらえたら有難いです。

そんな人たちの中で特に印象にあるのが私が勝手に名前をつけてる「和歌山のドレッド」という人で腰くらいまであるロン毛で小太りの人です。おそらく泉南か和歌山からイベントには必ず顔を出しておられたと思います。ドレッドだけにRoots系のイベントにはまだ顔を出してると思いますが最近の大阪ではRootsの大きなイベントというのはほとんど無いに等しいのと80年代の曲主体のイベントも無いのでその当時のレゲエ者の行き場も無くなってしまいました。私もそうですがその当時のレゲエ者はもうすでにおじいちゃん・おばあちゃんになっておられて「もうイベントどころではない」や「人込みはしんどい」などの理由もあるんじゃあないでしょうか。まあ年には勝てませんわ。この人同様泉州・泉南・和歌山あたりのレゲエ者は昔から大阪市内に繰り出してきてる人が多くRiddimPosseの頃に岸和田から来てくれていたおそらく「中辻」やったと思うのですが ここの兄弟もよく当時顔を出してくれてました。兄のほうはいつも酔っぱらっていてどうしようもなかったですが弟は行儀よく楽しんでくれてました。岸和田弁のきつい兄のほうから一度岸和田に遊びに来てと誘いがあり当時私も営業できるところを探していたので岸和田へ行ったことがありました。昼間に訪問してたので夜のお店が開いてなかったのですが「レゲエ焼き鳥屋」やパンダのはく製がある博物館(といっても普通の家)なんかを紹介してもらいました。現在の岸和田と違いまだまだ漁師町の匂いが残った昭和の町でした。また、私がRiddimPosseでイベント出演の際休憩で店外へ出て涼んでいると1台の車が停まり「RiddimPosseはここですか?」 と尋ねてきたので「ここやで!」と答えるとすぐさま車を駐車して4~5人がやってきたそうして私の顔を見るなり「Ghettoさん?!ですか」 「そうやで」 博多から車で観に来ましたということで私も本当に驚き、なんで九州の人が?と思ったら雑誌でRiddimPosseのことが紹介されていてその際私のことも載っていたらしいのです。すごいなあと感心しながらちょっと嬉しくなって「あしたのジョー」のように「へへっへへっ」と微笑んでしまいました。   「おっつあんよ~う!!」とは言わなかったけど・・・。

またまた和歌山の二人連れの女の子。この二人はそれまで見たことなかったのですがひとりは「さっちゃん」といって和歌山市から大阪に出てきて仕事をしてるということでもうひとりは「カオルちゃん」でそれまでNYの学校で勉強していたということだった。後々このもうひとりの「カオルちゃん」は色んな意味で「くされ縁」になるのですがその時は和歌山のノリのいい娘くらいで接してました。この二人も常連さんになったころ「カオルちゃん」からNYの彼氏が来るので何日か預かってもらえないかと相談があったのです。彼も西ジャメイカMoBayの出身で話合うんじゃないかということです。私もジャメイカから帰ってきて「変しい、変しい」いや違う「恋しい恋しいジャメイカ」な気持ちいっぱいでしたのですぐにOKでした。訪日直後はさっちゃんが住んでる吹田でやっかいなっていたのですがそこからうちへ来ました。私もたくさんのジャメイカンと知り合いになりましたがなんとこの彼氏今まであった中で一番背が高い。私は背が高くないので話をする際は見上げないといけないけどそこはジャメイカの標語「NoProblem!」彼の名は 「Martine」 小学校くらいまでジャメイカで暮らしていてその後家族でブルックリンへ移住したそうだ。すぐに私たちは意気投合し、彼を私の家族にも紹介し数日間うちで過ごした。ただ、食べ物と寝間が気がかりだったがMartine自身が日本食に慣れていたのもあって大きな問題なく過ごしてくれた。そして同じアーティストということもあり画伯とも気が合った。

ジャメイカの話に花が咲いたのも言うまでもない。

投稿者: 大阪レゲエ百物語

DADDY-TERUKIの大阪レゲエ百物語

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