第三十話 KirtisFly & SpicyM

Rough MeetsLoughのイベントが無事終えこれをステップにまた大きなイベントやクラブなんかのプロデュースをやりたいと考えていましたがなかなかそんなに世の中甘くありません。大阪だけではあかんなと考え、まずは京都でなんか営業ないかとKirtisFlyこと小島君に相談してみた。小島君とはそれまでに何度かイベントで会っていたしRoughMeetsLoughにも呼んでいたので次は京都でどうかなと打診してみると小島君は「ゲットー今度円山公園でごっついイベントをやるから出てよ」と願ったりの言葉がでてきた。円山公園というと私は兄の影響で小学生の頃フォークの大きなイベントを見にきたことがあり、それは凄いことや!やっぱり京都は円山公園やねんなあとつくづく感心し大きな期待を抱いたものだった。なぜか京都というところはレゲエ者が多いのにあまり盛り上がることなく箱が主体のこじんまりしたノリが主体で私の記憶では野外の大きなレゲエイベントというのは無い。その後小島君からの招へいの連絡はなく、会った折に尋ねると「もうちょっと待って」の答えの連発。とうとう私もどうでもエエわと思うようになった時にSpicyMこと宮井が大阪へ我々を訪ねてきた。というのもRoughMeetsLoughの楽屋で色々と京都シーンの話を聞いたり情報交換をしていて私は彼の郷里と私の父の郷里が近いこともあって親近感があり、また大阪へ遊びに来いやと伝えていたからである。彼は南紀出身で京都の大学を出て学校の先生になりたいということでした。SpicyMの際は黒塗りでイカツいイメージなんですが普段は色白の蚊トンボの様な青年でした。私はHipHopのことは詳しくないのでレゲエの話をするのですが彼もレゲエを良く知っていて話題には欠けなかったのです。画伯や大村君なども交えジャメイカの話に花が咲き聞いてるうちに彼もどんどん中毒になっていたんでしょう。おそらく京都では味わえなかったものが大阪にはあったのでしょう。その後も大阪へ来ることが頻繁になりうちや大村君のところへ泊って我々と行動をともにするようになっていきました。そうしてるうちに私はまたジャメイカへ渡っていったのである。天気も良くのんびりしていたある日「テルキ、ヒドシが来た!」とジャメイカ人が私のところへやって来た。そう「ヒドシ」という名は大村君の名前でなぜか「HIROSHI」を「ヒドシ」と呼ぶのです。ひどい事ですが何回言ってもなおらないのでそのままになっていまして、でもなんで大村君が?何も聞いてなかったしなんでやろ?と見に行くとそこに立っていたのはあの蚊トンボのSpicyMではないですか!!彼の名前も「ひろし」だったのである。聞くと「学生最後の年やしみんなの話聞いてジャメイカに行きたくなった」とのこと。大村君や画伯から情報を教えてもらってたどりついたらしい。やはり我々と濃厚接触していたので中毒になってしまいよったと私は思わず吹き出した。「よっしゃあ~これから歓迎パーティーや!宿泊は向かいのジャネルの家で泊まったらええやん」 「今晩GoGo連れて行ったるわ!」 夕方になって用意してくるわと言って宿に戻っていった彼はその夜戻っては来なかった。      

そうしてSpicyMはこの日を境に 「ヒドシ2号」になったのである。

投稿者: 大阪レゲエ百物語

DADDY-TERUKIの大阪レゲエ百物語

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