第二十一話 依存症発症

念願の渡ジャメイカを果たしてパワー全開で帰ってきた日本でしたが当たり前のごとく行く前と変わりようがありません。変わったのは私であって大阪レゲエシーンはなんら変化なくしかもまだまだ寒い時期でしたからレゲエのレの字もないという状態です。とにかく私にとって殺風景な日本でジャメイカを少しでも感じれる場所であるRiddim Posseや画伯のORANG OFFICEへ足繁く通うことになる。そこでリアルタイムのジャメイカのトレンドや体験談をレゲエ者達に伝導していくのが日課になってしまう。そして、見てきたDanceHallStyleを披露できるイベントをやろうとSや狩集画伯と相談し、まづはRiddimPosseで凱旋イベントをやろうとなった。ジャメイカへ行けないレゲエ者にとってもリアルタイムのダンスホールシーンを知る絶好の機会でもあるし、久しぶりにレゲエで楽しめる機会とあってたくさんのレゲエ者がそのイベントに集まったのである。たくさんといっても何百何千ではなく数十人からせいぜい百人の世界であるのはその当時のレゲエ認知度の低さを物語っているのだがそれでも我々にとっては凄いことであって特に私にとっては溜まっていたフラストレーションを爆発させれる機会となって盛りに盛り上がった。「勢い」というのは怖いものでそれ以後いろいろとパーティーを企画して開催し大阪レゲエシーンも活気がでてきた。と同時にその当時には雑誌SoundSystemというものが刊行されていて全国でもレゲエ者が増殖していたのでレゲエDanceHallに興味を持つ若い世代が増えていたと思う。その後 神戸のPokiBokiPosseという演者もRidimPosseに来るようになった。そうこうするうち大村君がジャメイカから戻ってくるというので私は待ちに待った。というのも私が去った後気にかかっているたくさんの事が知りたくてとにかく早く帰って来て欲しかったからだ。この頃からジャメイカにまた行きたいという欲望が発症し始めるのである。凱旋の勢いもそれなりに落ち着いてきだし日本でいるのが辛く感じてきだしていた。とにかくイベントが増えて出演できる回数も増えてくれたのは有難い話であったがいかんせんギャラが少ないのと私も生活がありましたし、それより次の渡ジャメイカという大きな目標があってお金を貯めないとという現実が浮かれてる私に覆いかぶさってきました。そしてお昼の仕事をしながら何とかDeeJayも週末に演るという掛け持ちStyleを選んだ。また以前の普通の生活にもどりつつあった私には日に日にジャメイカに行きたい気持ちが高まりそんななか大村君が帰ってきていたので近所でもあったので話を聞きに会いに行った。「その後のジャメイカ」の話を聞いたのが最後、私のジャメイカ依存症が全開になってしまった。今の状態でお金貯めてジャメイカに行けるのはいつになるんやろう? 1年後2年後という風に考えていくともう頭の中が爆発しそうでした。またまた拍車をかけてくれたのがイベントなんかで出会ったこれからジャメイカに行くという数人の女性からの質問に応えていくうちにドンドンと記憶が蘇りムシが沸いてくるのであった。その後彼女たちもご多分に漏れずジャメイカから帰ってきて「依存症」になってしまっていた。うだつの上がらない日々を送りながら禁断症状と戦っているうちになんとあのFuckinx5 Junがジャメイカに行くというのだ。「渡りに船」とはこのことだとばかり ガイドするから一緒に行こうと申し出るとすぐにOKが出た。条件はエアーチケット。Blows an Settle !!  「神様 仏様 JUN様」 でした。これでジャメイカに行ける! 皆とまた会える! 私は依存症から逃れるということでこの後仕事にそしてDeeJay業に出発の年末に向け励むのである。ただ、この時には予想もしてないことが起こるのを私は知らないでただただ喜ぶばかりだった。

「人生そんなに甘くない」

投稿者: 大阪レゲエ百物語

DADDY-TERUKIの大阪レゲエ百物語

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