「冬のNYは寒い」のは当たり前なのだが空気にさらされている部分が痛い。初のNYである我々にはそんなに苦でもなく、見るもの・見るものが新鮮でとにかくマンハッタンを歩き回ってました。17話で先述したとおり我々はワシントンスクエアーホテルで宿泊していたのだが、50mほど行けばすぐあのimmigration審査官に「毛布持って行けよ」といわれたワシントンスクエアパークがあった。到着翌日の朝、ひとり散歩がてら行ってみるとリスがいっぱい走り回っている。マンハッタンってアスファルトとコンクリートの街という私のイメージとは違いなかなか自然豊かなのである。公園内に入ると凱旋門があり、近くにNY大学があるせいか私と同世代の若者がたくさんいた。うろうろしてると「スモーク・スモーク」といって私とすれ違っていく人がいた。すぐにはピンとこなかったがホテルへ戻るまでに何回かそんな人と行き違ったので「あぁ そうなんか」と納得したのだった。このホテルは大村君がマンハッタン観光に便利やからというて薦めただけあって歩いて行けるところがたくさんあった。その当時トレンドのSOHOやEastVilledgeそしてBlueNote,BottomLine,CBGBなどのナイトスポットにも近いところだった。現在の42ndとは違う当時の42ndStは大阪の日本橋と新世界と飛田新地を足して2で割ったようないかがわしい観光地であったのだがそれはそれで私は好きだった。バカでかいラジカセやパッチモンが店頭にたくさん並んでいてウインドウショッピングするにはもってこいだがポン引き・スリ・はたまた強盗が日常茶飯事。とにかく汚いイメージだったのは記憶にある。数年前に射殺されたジョンレノンが住んでたダコタハウスにもハーレムに行った帰りに寄ってみた。Brooklyn,Queens,Bronxには地下鉄を利用して行ったのだが映画で観る落書きだらけでときおり車内の電気が停電する日本では考えられん電車であった。また、物乞いもひっきりなしに乗ってきて「私はAIDSです」と書いた看板といくらかのクオーター入った紙コップをジャラジャラ鳴らしながら車内を歩き回るのだった。当時、世界中を恐怖に陥れたあのAIDS。私もNYに行くことにやはりAIDSは大丈夫なのか空気感染はしないのか本当に心配していたが政府の発表で性行為以外ではうつらないということで何とかこの旅行を決めていた。こうやって短期間にNY巡りをしながらジャメイカ行の格安チケットも手に入れようやく頭の中も早くジャメイカに行きたいモードに戻ってきた。大村君はもとより狩集画伯らからもいろいろと聞いていたジャメイカ、自分なりにもジャメイカ人アーティストに聞いたり本を読んだりして想像してるものはあったのだが何せ一度は結婚の為にあきらめていた渡ジャメイカ それを蹴ってまでも行きたいジャメイカ やっと明日ジャメイカへ行けると思うと居ても立ってもいられなくなり「最後の晩餐や」ということで49Stの「さっぽろ」で日本食を食べにいったのである。そしてその夜またもや呪文の練習。宿はどうしょうと聞く私に 大村君は「マッキーとこになるんちゃうか、入国審査書にはNegrilの「SeaScape」いうて書いといたらエエわ」 「まあジャメイカはアメリカと違って何とかなるわ」NYの時と違って大村君は以前に経験してるので余裕に応えた。私も向こうに知ってる人もおるならまあ安心かなとたかをくくってまたまた呪文の練習に。「ジャパン、サイトシーイング、ワンマンス」
そうして最後のNYの夜はふけていったのである。

