第十四話 Reggae Band

私がDanceHall スタイルを布教し始めた80年代にはレゲエバンドというのは大阪で2,3つくらいしかなかったと記憶している。そもそも私自体が楽器には全く興味もなく、バンドをやりたいとも思ったことがなかったのであまりバンド意識してませんでした。これは小学校時代の音楽の授業のトラウマで鈴・カスタネット・トライアングルくらいまで何とかたのしく演奏できてたのですがハーモニカとリコーダーがでてきてからです私の楽器嫌いが始まったのは・・・。一生懸命家で練習してたのですが家族から大笑いされ、それが嫌で外でしたら近所からうるさいと言われとうとう「こんなもん人生で必要ないやろ」と その後は音楽の実技試験は受けてませんペーパー試験だけです。よって通信簿は王選手かGooseのみで中学3年の3学期にギターの実技試験は受けないと内申書に響くからと当時、担任でもあった音楽の先生に言われたのでギターはできないから歌で勘弁してと「あんたのバラード」を熱唱して義務教育9年間で初めて4を授かりました。オカンは親戚中に言い触らしてました。そんな具合ですからバンドと一緒にやらないかと懇願されてもいつも「DanceHallStyle」やからええわと断ってました。そんな私がジャメイカでRootsRadicsや809、Sagittarius Bandをみてから目からうろこでした。なかでもD.Fraserの男気に惚れました。演奏やないとこが私らしいとこですわ。勿論、演奏にも魅了されまくってました。「バンドって凄い!かっこエエ!」と感じて日本に帰ったものでした。そんな時、京都のイベントでRub A Dubの高橋君(I&I Vibration)から一緒にやろうと誘いがあってOKをだしたのですがバンドの連中はDanceHallStyleをまだ把握してない人ばかりで 「こうして、ああして」と私が指示してようやくDeeJayのバックを務めれるかたちをつくって出演しました。とにかく気持ちええとしか言いようがないくらい良かった。「Ease Off!!」 「Come again!」 勿論、演奏も皆さん上手でその掛け声通りに動いてくれてたので本当に酔いしれてました。そんな時に大阪のRootsRockersというバンドがひんぱんにレゲエイベントに出演し始めてて、ここにはキレイどころ2人がサックスを吹いてまして私はこのバンドのファンでもありました。まあ、ヴィジュアルもええし、演奏もうまいし大阪では一番売れてたバンドやったと思います。一緒にやろうと言いながら結局私がジャメイカに行くことが多かったのでかなわなかったのですが今思えば一回でもやっとくべきやったなあと後悔してます。その後 私もジャメイカへ、キレイどころ2人もアメリカへ嫁いで行ってしまいバンドも解散?したと思います。他にもメジャーデビューしていたKaja&Jammin’このバンドは「ありがたや!有難や!」でメジャーデビューしただけあって全国展開営業してたので我々のパーティーなどではブックすることはなかったと記憶してます。ただ、Kajaはソロで桃谷あたりや市内のBarなんかで活動してました。私は金曜日の夜「ザ・ハングマン4」を見るたびにこれはレゲエと呼んでええんか!?と悩んでました。また、有名どころではIZABA&ZoundSystem 第八話で書いた若井ぼんさんと一緒にレゲエ河内音頭をやってました。その後は不明ですが私はイベントで見たことも聞いたこともありません。これらのバンド以外にも我らが狩集画伯や宮井・大村君(寛平ちゃん)らが組んだスプトニックバンド(活動期間最短)などなどが私の知るところです。DeeJayは基本レコードで演るものでしたのであまり縁がなかったんですが決まれば本当に気持ちの良いものでした。ステージなんかの機会があればできたのでしょうがReggaeはまだまだ一般受けしてなかったしPAなんかで相当なお金もかかるらしいので当時のDanceHallStyleでは「Miss 縁」でした。

投稿者: 大阪レゲエ百物語

DADDY-TERUKIの大阪レゲエ百物語

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