今回は前章のANSWERとしてお話したいと思います。おおまか当時のFASHIONやスタイルなどがわかってもらえたと思いますが大阪レゲエシーンでは本当にまだまだDANCEHALL STYLE がそんなにひろまってなかったのでいわゆる大阪ラスタが主流でなかなかRUDDYっぽい人は少数派であったが宝島レゲエブックやサウンドシステムなどの雑誌が発行されて急激に情報が入ってくるとレゲエはもちろんDANCEHALL STYLEに火がつき出した。そらあんた、皆がカンゴール被ってるというても大げさではないくらいいきましたわ、カンゴールは!!!ちょっとその前にTRAVEL FOXというスニーカーがよかったんですが物流の関係もあって行きはしませんでした。話はもどりますがカンゴールには鉛筆や靴、はたまた傘やタオルまである位のブランドになってしまいました。病気やなあ〜。まあ現在はしぼんでしまっているけど大きなお金が動いてんやろと思いますわ。ダンスホールが普及したと同時にクラブからドレッドや長髪が消えだし90年代前半は大阪のダンスホールのピークやったんだと思います。ただし、精神的にラスタの人はどんどん増えていったんやないかなあ。85年ころNSCの生徒であったTOKU-Pがドレッドをやっていたがそれはきれいなドレッドやったと思うがあれはたぶんエクステンションちゃうかなあ。あと和歌山から大阪のイベントによく顔をだしていた長髪の山崎(多分?)氏も根性入ってた。まあ現在50歳前後以上のラスタは根性入ってた人も多かった反面、勘違いなところもあり、その後の大阪レゲエシーンからは疎外していったのは事実だ。たぶんついてもいけないし、しいて追うこともせずに自分の世界にひたっておられることだろう。また、大阪ラスタの聖地はたぶん岸和田・貝塚あたりと私は当時から感じてる。あそこらのラスタは本当に濃い。おそらく現在もその流れは存在しているらしい。また、RUDDYのなかでも一般的にはジャメイカンスタイルに憧れるのが王道だったが当時アメリカのラップ・ヒップホップの影響でHIPHOP FASHIONをとりいれてたきた頃に京都からCURTIS FLY & SPICY FLY とういうコンビがうまれたのだが彼らのファッションは本当にイカつかった。当時のシャネルズのように黒塗りでなおかつビッグチェーンそして大きなグラスとゴーグル、思わず‘‘Back side!”とうなるほどでしたね。女性では現在のようなGalはほとんど80年代には全く存在しておらずどちらかというとRootsWomanが多かったな。やはりジャメイカに行ってやっと目覚めるパターンが男女にかかわらず多かったですわ。当時のOsakaRootsWomenのイメージはRudeというより知的で静かでちょっと汚いイメージが私にはありましたわ。ほんまに汚いのでなくイメージで。でもJさんは臭かったなあ。とにかく私の感覚ではOsakaGaLが発生したのは四ツ橋のSt.Annあたりやないかなあ。そのあとのLabrishにはたくさんのGalがおったです。その後アメリカ村がアメ村となっていくと同時にRootsWomenは消えていってしまいました。

