「アイランド」と聞けばレゲエ者でなくても旅行代理店と知ってるあのアイランド大阪がプロモートしたレゲエパーティーは当時の大阪レゲエシーンそのものであった位大阪レゲエの中心だったのだ。もともとはインドやバリ等への格安チケット販売が売りの「旅行屋さん」だったと思うのだが「アイランド大阪」のスペースマン中野と云うRoots好きの社長がレゲエパーティをミナミのディスコでキープしてから大阪でシーンができだしたのである。その後キープされるパーティをの規模も大きくなってきて、最終的に「琵琶湖ジャミング」と云う日本で初めてサンスプラッシュなみのコンサートを琵琶湖畔で開催したのだった。しかも天下のNHKや滋賀県教育委員会等も協賛し、放映までされた。かく云う私はアイランドに出入りするレゲエ者の一人でこのイベントのスタッフとしてセキュリティーと称してステージ前のパロってあばれている輩をしばきたおしておりました。しかし、アイランドはパーティーやショウを多々キープしたが箱をつくらなかった事が後にシーンの中で知名度が旅行屋さんとしてしか残らなかった原因だったと思う。このレゲエ発信地だったアイランドの当時のスタッフ(レゲエ部門)S (頭文字はSやが性根はMやな)を筆頭に豊嶋さん(女性)、金森さん(女性)らがイベントを支えていた。旅行業としても本当にアットホームな接客対応で根強いリピーターをたくさん抱えていたと覚えている。そのとりまきで大阪のレゲエ者がここへ出入りし始め、現在では有名な「レゲエご拝聴ツアー」が企画されたのであった。その当時ジャマイカ旅行に行く日本人と云うのはごく少数のミュージシャンか商社の人間くらいであった。その時代 何とか「レゲエの本場へ」と云う全国のレゲエ者がサンスプラッシュを目指して “ Gone Jamaica“したのだった。そこで若井ぼん(漫才師)さんがそのステージで「元祖レゲエ河内音頭」をバンドのZoundsystem と演ったのだ。まぁこの時の客のリアクション!!見てみたかったなぁ恐らくぼんさんがメインステージに出てきて「え~さぁ~ては一座のぉ~ 」と歌った時、会場でどれだけの男がBad Word (プ○○ーホール、ボンボク○○○ etc ) をつぶやいたでしょう。興奮のるつぼです。その後ランキンタクシー等をサンスプラッシュに送り、日本では初めてのレゲエビックコンサート「琵琶湖ジャミング」をプロデュースしたりと大阪は元より全国のレゲエ発信地であった。

